野田名誉会長に創業時の想いをうかがう

弊所は1970年設立で、来年2020年に創業50周年を迎えます。

創業時の所長でもある野田一夫名誉会長は92歳でご健在。来年の節目に向けて、いま一度、50年前の想いを「創業時の所長」から直接うかがいたく、入所4年目の研究員2名で野田名誉会長のオフィスをたずねました。インタビューの一部でもお伝えできればと、スタッフブログに掲載させていただきます。

野田名誉会長からのメッセージ

私の最大の訪問目的は、約3年間この組織に身を置く中で常に問い続けていること―「シンクタンクはどうあるべきか」「日本総合研究所はどうあるべきか」―について、野田名誉会長から直接お考えをうかがうことでした。

日本総合研究所のあるべき姿については、「現在の経営層とスタッフたちが考え創り上げていくべき」というお考えのため、名誉会長からはお言葉をいただきませんでした。一方、シンクタンクのあるべき姿については、約50年前、米国でMITのシンクタンクに在席されながら、まさに肌で感じていた感覚をもとに、以下のようなお話をうかがっています。

「シンクタンクは、今、社会で課題になっていることと向き合う組織。現実の問題や関心を持たれている分野に取り組み、人々に説明し、世の中に問う組織である。そのうえで、研究を研究のままにせず事業化していくことが目指されるべきである。創設当時、日本における研究機関といえば大学だったが、(当時の)大学の研究は抽象的で、その時代の課題とはかけ離れがちだった。大学の研究とは異なる、『現代の課題』に取り組む組織の必要性を感じ、日本総合研究所を創った。」

印象に残ったことを1点に絞るならば、「今を見つめ、今を生きよ」というメッセージです。上記のようにシンクタンクはどうあるべきかという問いにも、また「人生100年」と言われる時代の生き方についても、「君たちのような若者が将来を憂いていても仕方がない。今を見つめて、今を生きなさい」という解をいただきました。(当然、一歩先の未来を見据えたうえでの「今」ということですが。)

私が担当している地域創生プロジェクト(「わがまち魅力化プロジェクト」)は、今まさに課題に直面している地域で、住民・地域おこし協力隊・行政・大学・民間企業等、地域内外の多様な主体と協働して、弊所がコーディネートし、首都圏・地元近隣地域の大学生がそのまちの課題解決策や魅力化案を考え提案していくものです。野田名誉会長にもプロジェクトコンセプトに賛同をいただき、エールをいただきました。また、「その仕事にやりがいはあるか」という問いに、やりがいを感じているとお答えしたときの名誉会長の満足そうな笑顔が強く心に残っています。私の勝手な解釈ですが、若手研究員の仕事へのやりがいをご自身の喜びと感じてくださっているようで、改めて尊敬の念が深まりました。

インタビューを終えて

インタビュー後の感想としては、私個人の振り返りの視点と、組織の将来に向けた視点の大きく2点があります。前者の「個人の視点」については、インタビュー中、私からの質問に対し「もっと具体的に」と何度も指摘されたことによる気づきがありました。普段の思考が、抽象的で理念的になりがちであることを開始数秒で見抜かれており、今後の指針として「具体性、実践性を高めた思考と発言、行動を目指せ」というメッセージをいただいたと受け止めています。

また、後者の「組織への視点」については、野田名誉会長の話をうかがいながら、共に働く上司・先輩から聞く言葉と通じるものを感じたことが挙げられます。具体的には、過去の事実や経緯を理解したうえで、今、現実に起きている問題・事象を把握し向き合うことを重視する点、そのために現場からの見聞を大切にする点、個々の意志と意欲が研究の最大のエンジンであるという考えについて、特に共通していました。創業者が創業時に目指していたことや掲げた理念が、約50年を経た今も浸透していることは、先見性と普遍性を持つ理念を掲げていたからこそであり、研究員がその精神を継承していった結果であると考えました。

私にとって野田名誉会長は「0から1を生み出す偉人」。50年前に生み出された組織を育て、今後も時代と共に生きる組織であるためには、研究員一人ひとりの知と志が試されていることを痛感し、私自身はこれまでの調査研究の開発的展開を目指したいと改めて思いを強くしました。

*野田名誉会長のもとへ一緒に訪問した毛利研究員のスタッフブログはこちらからどうぞ。

<左から>藤村 倢久評議員(一般財団法人社会開発研究センター会長)、野田一夫名誉会長、高野(筆者)、毛利研究員(2019年6月19日、赤坂オフィスにて)